U-FORUM MUSEUM
宇フォーラム美術館
スケジュール
展覧会情報
概要
平松 輝子
二紀 和太留
坂田 一男
ご連絡先・交通案内
■ 宇フォーラム・KV21 第51回展 アトリエ美楽展 井藤大 小幡海知生 二人展
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場所:
期日:
宇フォーラム・KV21 国立市東4-21-10
2012/05/20(日)〜06/03(日)木・金・土・日のみ開館 PM1:00〜5:00
リノリウム版画のワークショップ開催。
指導担当:加藤俊子 平松啓子 ARENA
作品紹介
井藤大

小幡海知生

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■「アトリエ美楽」について 代表 加藤俊子

 人は自分の好きな事や、やりたい事が充分にやれると生き生きとしてくる。その自己表出で生まれたエネルギーは人が豊かに生きていくための重要な源となる。障害を持った人たちも同じである。ただその重要なエネルギーの源となるものを自分で見つけたり組織したり表出することはなかなか難しい。特に学校を卒業してからの生活は限られたものになっていく。企業での就労生活や福祉作業所での生活だけでは自分の要求は伝えられず満たされないものが多くなり問題行動となる。そして欲求不満はさらに問題を大きくしていき問題を指摘され、批判されることにより自信喪失となり、本人も周りの人も苦しむことになる。
 また、障害を持った人たちが年齢と共に福祉作業所の生産ラインに乗れなくなってきたり、不況のあおりでリストラの対象になり再就職がなかなかできなかったりと居場所を無くしてしまうこともよくある。これらの心のケア―は大切なものになるが、まだそれらの支援のシステムは少ない。
 この問題を解決していくためのひとつの方法として造形活動は大きな役割を担っていくことが期待される。言葉での表現が難しい人でも造形活動での表現は、難しいルールや技術に惑わされず容易なものとなる。表現することにより人に理解され認められ、それが自信となって意欲へとつながっていく。表現することの喜びやその表現を認めてもらうことの喜び、人と共感したり共鳴したりすることを共有する場として「アトリエ美楽」を設立した。
 「美楽」つまり美術を楽しむところである。スタッフは教えることはしない。表現する素材や道具をセットし、初めての場合は道具や素材の使い方の説明をしてスタッフも一緒に美術を楽しむというシステムになっている。今回の展覧会の作品は月2回の活動で1年あまりの期間に制作した作品の中から選んだものである。
 これから、アトリエ「美楽」のめざすものは、障害を持った人たちだけのアトリエではなく、美術を楽しみたい人は誰でも入れるアトリエにしたい。子供も大人も障害のある人もない人も、とても居心地のよい居場所ができればと思っている。その中で、共感し共鳴しあい、助け合ってより豊かな生き方が生まれてくればと思っている。

アトリエ美楽スタッフ
加藤俊子(元養護学校教諭)
平松啓子(臨床発達心理士)
長田亜里奈(アーチスト)


■「アトリエ美楽」展覧会に寄せて 宇フォーラム美術館 館長 平松朝彦

   今回の二人展の作者はいずれも知的障害を持つ。最近、知的障害者の絵がアウトサイダーアートなどといわれて日本で注目されているようだ。しかしそうした概念は戦後まもなく生まれていた。フランス語「アール・ブリュット(Art Brut、 「生(なま、き)の芸術」)」は フランス人画家・ジャン・デュビュッフェがつくったのだが、デュビュッフェが1949年に開催した「 文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットに掲げられていたことに由来する。
 アウトサイダーアートということにたいしてどうやらいくつかのとらえ方があるようだ。例えば、美術教育とは無縁の人たちによる美術、つまり無縁であるがゆえにうまく描けないが一生懸命描いた人の絵、身体障害などのため身体的な理由で描くことが困難な人による絵等様々だが総じて美術界から無縁の弱者による絵画、ということだ。
 デュビュッフェの描いた絵は当時、戦後の日本現代美術を席巻し、今も彼を真似したと思われるような稚拙さや病的嗜好を売り物にしたような作品群が美術界を跋扈している。しかし、それは単に面白いだけで美しくない、という共通項がある。
 一方、アール・ブリュットには反アカデミズムの主張があろう。反アカデミズムはそもそも印象派に由来するが、アカデミーという様式主義に対する反発である。これはアバンギャルドとなり日本では坂田一男に継承され、さらに当美術館の前館長、平松輝子に継承された。
 平松輝子は美大どころか美術学校も卒業していない。一方、美大を出ればいいのか。美大を出ると型にはめられてしまうのではないか、という危惧がある。むしろ型にはめられるために美術大学に行くのかもしれない。
 さらに美術界自体が「型」のようになっていないか。美術界における強者は、某美大の某研究室で有名作家の弟子となりコンクールで入賞し一流画廊で扱われて個展をするということである。一般人の常識として、美術界はいまだ権威主義であるようだ。とすると前述のアール・ブリュットはそうした美術界などの閉ざされた社会に反旗を翻すという位置づけになる。そしてそうした権威主義と対立したところにアール・ブリュットがあるのかもしれない。
 そもそも絵を描く意味は、その個人の個性に由来するが、その個人とは一人一人違って当たり前であろう。人真似ではない絵を描く事とどういうことか。自分が描きたい絵を描くとは必然的に自分と向き合うことになる。そして自分を発見する。
 だから絵は個性なのだ。しかし日本社会はそうした個性を殺しがちだ。日本美術は、個性を殺し先生と弟子の関係が優先されて個性は望まれない。ユニークという評価は欧米では賛辞だが日本では非難である。つまり日本社会は欧米とはそもそも芸術の発想が逆なのである。
 坂田一男は弟子たちが自分の絵を真似することを嫌ったが、一方、平松輝子を含む弟子たちは東京で「異質」展を開き、異質であることを目指した。そして平松輝子、二紀和太留は師である坂田と明らかに違う絵を描いた。

   一方、井藤と小幡の二人は当館で個展を行ったという経緯がある。今回の展覧会の理由は単純に、絵として評価したからだ。すべてがいいとはいわないが、井藤大の絵は、アメリカのジャン・ミッシェル・バスキアも吹っ飛ぶパワーがある。小幡海知生の絵は、井藤にパワーでは劣るかもしれないが独特の形へのこだわりと色彩感覚があり、いずれもユニークである。
 井藤、小幡の両氏は二人とも、一年以上、アトリエ美楽で定期的に絵を描いてきた。井藤は社会福祉作業所に所属し、小幡は社会復帰を目指しながら絵を描くことができ、そしてこのように絵が描けたことを実証した。
 但し、アトリエ美楽は普通の絵画教室とは異なる点がある。知的障害教育の専門家が立ち会い指導しているのである。この点が一般的な知的障害の美術サークルと大いに異なるところだ。そして一緒に描くので影響を与える彼らの美術センスも多いに問われる。
 当美術館は、2000年から2004年まで、毎年、「ジョイフル・アート」という養護学校の生徒たちの作品を展示するとともに一般の人も参加したワークショップを行った。今回は当時の有志による「アトリエ美楽」によるそのリバイバルでもある。
 かつて当館で開いた2004年のジョイフル・アートではスウェーデンの自立芸術組合「INUTI」で作家活動をしている二人の作家S.サンドストロム、B.ホリングワースの作品展示を行った。スウェーデンの彼らのように画家として自立できればこれに勝るものはない。そのためには社会つまり、わたしたちが変わらなくてはならないことも事実である。
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