U-FORUM MUSEUM
宇フォーラム美術館
スケジュール
展覧会情報
概要
平松 輝子
二紀 和太留
坂田 一男
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■ 宇フォーラム・KV21 第49回展 山口保「海片(Piece of ocean)」展
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場所:
期日:
入館料:
宇フォーラム・KV21 国立市東4-21-10
2010/11/12(金)〜11/28(日)木・金・土・日のみ開館 PM1:00〜5:00
\500円 会員無料
作品紹介
山口保

平松輝子

ニ紀和太留

坂田一男

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作者プロフィール
■山口保
・「海片」・‥‥外房における岩礁の岩々の撮影記   山口 保
外房にアトリエを構えて以来、海浜を逍遥することが多くなった。そのついでに写真の撮影を思い立ったわけである。
最初はアトリエのある東浪見や太東の海岸を中心に歩くことが多かったが、徐々に外房の海岸全体を歩くようになっていった。外房の浜は変化に富み、その後ろに控える穏やかで親和的な丘陵とは違い、異界性に満ちた風景や物たちが散在する、時に静謐な、時に激しい宇宙的なエネルギーを感じ入る場であった。撮影の当初は海のたゆたいや寄せては返す波の音に耳を傾け波そのものを撮ることに集中していた。
海のたゆたいはあくまでも人間の意思とは無関係に宇宙的な律動を持って運行されているがそれがまた、私の俗事や人間関係の軋轢に疲れた心を慰謝してくれた。しかし、そのうちに私は逍遥する海浜の足下に散在する物たちにも目が行くようになった。海浜の漂流物や海鳥の死骸、ネロネロとした形態を持つ海藻類、テトラなどに猖獗するようにこびりついた貝類、総身に亀裂が走り朽ちてゆく流木、といったような物に目を向け始め撮影に取り組むようになった。これらの物たちは自然の中での無常の様を呈しており、私の自然観を深くさせてくれてこれはこれで興味深い対象ではあった。
しかし、徐々に私の関心は岩礁の岩々に収赦されていくことになる。
岩礁の岩々の形態は、太古に生成されて以来、海水の止むことのない厖大なエネルギーに大きく干渉され形成され続けているに違いない。海という地球規模での巨大なプールの中で海水は渦巻き、温度の違う潮流が本流になり、風は波を作り、きわめて巨大なエネルギーに満ちた海水が岸に岩に打ち寄せることになる。
そして、宇宙空間と交信するように一日2回ずつ起こる干満の潮汐、間断のない風浪、昼夜および季節による寒暖差、雨、雪、荒れ狂う暴風雨などマクロ的な自然現象や、ある種の生物の浸食などミクロ的な自然の働きも岩礁の岩々の造形に大きく関連しているに違いない。いずれにしても、人智の及ばぬ悠久の時間と膨大なエネルギーが創造した、宇宙的な造形であることはまちがいない。
岩礁の岩々の撮影を振り返れば、ポイントは二つあったと思う。ひとつはその圧倒的な存在感で、見つめる私の存在をも屹立させてくれたこと。訪れた岩礁の数々で波しぶきを浴び強い陽光の下で、黒々と輝く圧倒的な量感を持つ岩々を見て、陽光を全身に浴びながら、私自身も存在し生きているという覚醒された意識で立ち尽くしたこともしばしばであった。
もう一つのポイントは、人智とは断絶され形成された造形でありながら、その有機的な形態と質感には私の深層に響くなにかを強烈に持っていること、これは全く不可思議としか言いようのないことなのだが、色々な形態の岩々から様々なイメージが触発され、まるで私の深層を岩の指でまさぐられるような感覚を味わった。これはまさに言語には言いつくしがたいことであり、私の感じたものは、私の写真を見ていただくしかないことなのだが・・・。
人間の意思には無関係に創造された物質であっても、つまるところ岩々も私も同じ宇宙内存在であり、一種のシンパシーを持たざるを得ない。同じ宇宙内存在としての岩礁の岩々の囁きを聞く。そんな気持ちで覗くファインダーに映る岩々はすばらしくフォトジェニックな対象であった。
オーバーな言い方かもしれないが、ビックバーンの爆発以来、私とこの岩々の邂逅は決定されていたのではないかとも思える。そうした思いに打たれて撮影するとき、より以上に神秘を窃視するような高揚した感情に襲われることがしばしばであった。

・「古くて新しいテーマ‥・岩塊」(写真集「海片」より抜粋)   美術評論家  針生一郎
1970年の大阪万国博は「映像の万博」と呼ばれて、複数の異なる映像を同時並列で進行させる・「マルチ・プロダクション」の花盛りだった。だがそこではチェコの女子学生狩りをするアフリカの黒人青年たち、京都の寺の修行僧などの映像が、私がチカチカイライラ芸術と名付けたように互いに相殺し、結局多様な青春の共通性といった空虚な観念しか残さなかった。
それらに比べればいくつかの館にみられた動かぬ写真が、はるかに豊かな内容を語りかけてくること、いや、アメリカ館に展示された台上の小さな「月の石」が、月世界や宇宙旅行について無限の想像力をかき立てることが分かった。
事実、写真はカメラというメディアの発端だが、ある瞬間、ある角度の現実を選んでシャッターを切る個人がいて初めて成立するから、映画の電子メディアよりもパーソナルな手仕事に近い。だからはしなくも1970年前後から、ことさら特異なアングルや構成を求めず、ありふれた風景、人物やその群像、物体などを克明に写して、事物の言葉にならぬ深層の意味、あるいは「見る」こと自体の意味を問い直すような写真が、国際的に目立ってふえた。
このころから国際美術展にも各国の美術館、画廊の展覧会やポートフォリオにも、写真の進出はいちじるしい。だが、日常の事物のうちに日常生活を超えた意味の深層をさぐることは文学本来の使命でもあるから、こうした写真の動向は意外にも文学に通底するところもある。
ところで、かつて千葉県の特別支援学校に勤めた山口保は、知的障害のある少年少女が人間としての彼を信頼して、鏡の向かうように正面から向き合ったときの、無垢なあどけなさのうちにどこか不安を秘めた顔を撮影して、1991年写真集『鏡』を出版した。しかも彼によればあらかじめ写真を引き伸ばし、一枚ずつ生徒の家に届け、一人でも親に反対されたら出版そのものを見送る配慮を経てのことだった。
かつてわたしの隣人と育っていいほど近所づきあいをした詩人の宗左近は、この本の序文で「鏡のうちに神の影を見る、もと天使だった人間たちのドキリとする美しさ」など言語を絶するものを凝視する山口の写真を、さすが詩人の洞察によってみごとに言語化している。
だがその山口は数年前からアトリエのある九十九里浜を起点に太平洋に突き出た外房州の海岸を歩きまわって撮影し続けたという。撮影の当初は砂浜に打ち上げられた海藻、雑多な漂流物、流木、テトラポットにまつわりついた貝類、などに惹かれたが、やがて岩礁海岸の千変万化する岩の姿に集中する。これらもの言わぬ海辺の物質を、海という異界の痕跡を残す断片として「海片」と総称し、一冊の写真集にまとめるのは、やはり異界の強いて言えば地球の宇宙的運行による造形の言語をつきとめようとする意図ともみられる。
そもそも岩石とは、太古海底の深部から噴出したマグマが、地表で冷却した火成岩と、水中や大気中を運ばれた雑多な物質が地表に堆積し沈殿して凝固した堆積岩と、それらが多年、波濤や暴風や生物による浸蝕にさらされ、高熱や冷却や地震などの圧力によって結晶の分解と再結晶におよんだ変成岩に大別されるらしい。
その分類からみれば、ここにみられるのはたいてい変成岩だろうが、それにしてもなんと多様な形態、表情、肌触りがあることだろう。数人の顔が並ぶように複雑な凹突をおびた岩崖、脱ぎ捨てた衣服のように軟らかそうな面に切れ目を残す白い塊、紐で縛られたように縦横に突起する線条や条痕の走る黒岩、山襞と深い谷の頂点に、空にうそぶく人蘭と犬のような形態をつきだした巨岩、何ものの圧力によるのか大小無数の凹みにおおわれた波打ち際の岩、また虫食いの痕のように深い小穴を点々と残す岩、うずくまる巨牛や裸婦を思わせる形、両股の間の女陰に似た凹みに水をたたえた光景、松島の材木岩に似て直方体の集まりとみえる崖面、怪異な魔物を思わせる数個の岩塊の構成、砂浜に横たわる平べったい岩面のしかめっ面に似た凸凹など。
もともと、海は生命の海でありながら、悠久の太古から波涛としてあらゆる海辺に押し寄せ、堅固な無機物としての岩石すら浸蝕して人智人力のおよばぬような造形を施す。山口保がそこに自分の深層にひびくなにものかをみいだし、取り憑かれたように撮影をつづけたのはよほど彼の琴線に響くものを感じたのだろう。
わたしはそれらの写真を見て、「思想の目覚めのための物質の寝床は堅ければ堅いほどいい」というフランスの思想家アランの言葉を思い浮かべた。だが同時に、この言葉は噛みしめれば噛みしめるほど、あくまで石の家に住み馴れたヨーロッパ人のものだと痛感したことも回想した。木と紙を主とした家に住んで天災地変や人災で家が失われても、生涯を仮住まいとして、無常、迅速のうちに風のような自由を享受してきた日本人には、もっとも困難な課題だといえよう。
しかし、古来日本でもある人々は、旅に出て、座禅を組み、岩に刻んだりまた描いたりして、石との対話により自己を鍛えてきたのだ。
山口もおそらくは無常観に対する強迫観念が強いのだと思う。岩石に惹かれた大きな理由はそのことにあるにちがいない。そして彼の写真から湧出するいろいろなイメージ。岩石を対象にし現代人として自己を観照しようとしたのだろう。
まことに岩石は古くて新しいテーマであり、とりわけ敗戦によって日本人に与えられたささやかな自由が、主体的な思想として深められないままなしくずしに風化し、根こそぎ奪い取られる危機に直面する現在、愚直なまでに海浜の岩々との真摯な対話を試み、自己を検証しようとした姿勢は評価してよいと思う。

■ 平松輝子
[経歴] 一部
1921 東京生まれ
1949−56 坂田一男(レジェの助手)に師事、A・G・O同人
1954・63・64 個展、タケミヤ画廊・サトウ画廊・日本橋画廊
1965・66 ニューヨーク個展 AMサックスギャラリー(ニューヨーク)
     ロスアンゼルス個展 ギャラリー66(ロスアンゼルス)
1967 国際青年美術家展、受賞(池袋西武)
1968 現代日本美術展(スタンフォード美術館・グリニッチ美術館)
1971 2人展《大自然と人間》ピナール画廊(東京)
1972−82 ドイツ クレフェルド  
1974 国際現代美術見本市(デュッセルドルフ)
     デュッセルドルフ美術館NRW州展(デュッセルドルフ)
1975 個展、カイザーウィルヘルム美術館(クレフェルド)
     個展、ケルン日本文化会館(ケルン)
1977 個展、コンスタンツ美術館(コンスタンツ)
1978 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1979 個展、日本大使館後援、西ドイツ政府主催庭園ショー、(ボン)
1980 個展 日本総領事館後援 ミュンヘン民族博物館(ミュンヘン)
1983 個展、ウェアハウスギャラリー・ギャラリー上田(東京)
1987 個展、デュッセルドルフ州立美術館(デュッセルドルフ)
1987・88・89 墨展(現代中国芸術センター、大阪)
1990 P3美術館
1995 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1999 東京国立市に宇フォーラムKV21美術館創立
     若い美術家の支援のため企画展を開催

[Teruko Hiramatsu’s Histry]

-Born in Tokyo, 1921
-Studied with Kazuo Sakata (assistant of Fernand Leger)
Member of Avant Garde Okayama. Groupe headed by Kazuo Sakata

One-person Exhibitions

1954 Takemiya Gallery, Tokyo
1963 Sato Gallery, Tokyo
1964 Nihonbashi Gallery, Tokyo
1966 A.M.Sachs Gallery, New York
1967 Ichibankan Gallery, Tokyo
    Gallery Beni, Kyoto
1970 American Culture Center, Tokyo
1973 Foreign Institute, Krefeld
1974 Remscheid Municipal Theater, Remscheid
1975 Kaiser-Wilhelm Museum, Krefeld
    Japan Culture Center, Koln
1976 Gallery Sorko, Nuremberg
    Studio, Wuppertal
    Gallery Krull, Krefeld
1977 Kanagawa Prefectural Gallery, Yokohama
    Hagener Kunstkabinett, Hagen
    Konstanz Museum, Konstanz
    Artists Assosiation, Marburg
1978 Heidelberger Museum, Heidelberg
1979 Dahlem National Museum, West Berlin
    West German Government Garden Exhibition, Bonn
1980 Rheda-Wiedenbruck Ministry of Culture, West Berlin
    Gallery Sorko, Nuremberg
    Kempen Municipal Museum, Kempen
    Munich Fork Museum, Munich
    Solingen Municipal Theater, Solingen
    Dortmund Foreign Munistry, Dortmund
1981 Gallery Pran, Korchenbroich
    State Adult school, Hochsaueriand
    Trier Museum, Trier
    Badsalzfulen Ministry of Culture, Badsalztfulen
1983 Gallery Ueda-Warehouse, Tokyo
1984 West Germany Culture Center. Tokyo
    Striped House Museum of Art. Tokyo
1985 Gallery Pran, Korchenbroich
1987 Landes Museum, Dusseldorf
    U-Forum opening exhibition, Tokyo
1989 Modern China Art center, Osaka
    U-Forum exhibition2, Tokyo
1990 P3 Museum, Tokyo
1995 Heidelberger Kunstferein, Heidelberg
1999-2008 U-Forum exhibition, Tokyo
    Selected Group Exhibitions
1940-41 Tokyo Municipal Museum, Tokyo
1950-55 Tenmaya, Exhibition of AGO, Okayama
1947-62 Muramatsu Gallery, Tokyo
1966 Gallery 66, Los Angels
    Brandeis University Museum
    Jersey City Museum, New Jersey
1967 International Young Artists Exhibition, Tokyo
1968 Contemporary Japanese Art Exhibition,
    Stanford Art Museum, Greenwich Art Museum
1971 Piner Gallery, Tokyo
1974 International Contemporary Art Exhibition, Dusseldorf
    Art Museum NRW State Exhibition
1976 Japan-France Modern Art Festival, Grand Palais, Paris
1978 Gallery Vondran, traveling group exhibition, Dusseldorf, Bonn, Munich
1981 Oedo Graphic Exhibition, Royal academy, London
1987-89 Exhibition ”SUMI”, Modern China Artcenter, Osaka
1989 Exhibition ”World of SUMI”SEIBU Ohtsu,Ohtsu
1990-2007 U-forum Museum, Tokyo

Collection
Japan Society, New York
Kaiser-Wilhelm Museum, West Germany
Kunst Museum, Dusseldorf, etc

■ 二紀和太留
[経歴]一部
1921  熊本県荒尾市生まれ
1942〜45 熊本師範学校(熊本大学)卒。海軍に入隊。
1945〜51 熊本県展、独立美術協会奨励賞、K氏賞
        熊日新聞社賞、大牟田美術展くろだいや賞、武蔵野美術大学中退
1952〜56 坂田一男師事。第2〜4回A・G・O展参加
1962〜63 個展 村松画廊、新宿第一画廊(東京)
1966〜70 渡米 第25回ナショナル美術展・ジャージーシティミュージアム入賞
        個展 カプリコーンギャラリー・スタジオ90、
         ビューイング・ホイットニーミュージアム オブアメリカンアート
         (ニューヨーク)
        アートフェスティバル、コンテンポラリーアジアンアーチスト展、
        アートレンディング・ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、
1972〜73 ピナールギャラリー(東京)、スタジオ10(ニューヨーク)
        個展 ケルナークンストキャビネット(ケルン)
        コンテンポラリードイツアート(クレフェルド)
        個展 ギャラリーナーグル(ウィーン)
        個展 日本文化センター(ケルン)、
        インターナショナルコンテンポラリーアート展(デュッセルドルフ)
1975〜76 NWF州立ウィンター展(デュッセルドルフ美術館)
        個展 ジャパンクラブ(デュッセルドルフ)
        個展 紀伊国屋ギャラリー(東京)
        個展 アートサロン三番館(東京)
        ジャパンナウ(サンフランシスコ)、東京都立美術館、
1977〜79 個展 多摩信ギャラリー(東京)、個展 神奈川県立ギャラリー(横浜)
        個展 姫路ギャラリー(東京)、 個展 熊日ギャラリー(熊本)
        個展 アルゲンチュームギャラリー(クレフェルド)
1980〜81 個展 長崎県立美術館(長崎)、個展 荒尾市社会教育総合センター(熊本)
        個展 独日交流ソサエティー(デュッセルドルフ)
1983    個展 紀伊国屋ギャラリー、個展 ギャラリー岳(東京)
1985〜86 ギャラリープラン(西独)、埼玉県立近代美術館(埼玉)、
        個展 青梅市立美術館(東京)
1991    個展 ストライプハウス美術館(東京)
1997    死去

■ 坂田一男
略歴
1889年 岡山県生まれ。
1914年 本郷絵画研究所にて岡田三郎助に師事。
1916年 川端画学校にて藤島武二に師事。
1921年 渡仏、アカデミー・モデルンでオトン・フリエスに師事。
1923年 フェルナン・レジェに学ぶ。サロン・ナショナル・デ・ボザール、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリー、
       サロン・デ・ザンデパンダンに出品、後者2サロンの会員となる。
1924年 サロン・ドートンヌに入選。
1925年 「今日の芸術展」(パリ)に出品。
1929年 ギャラリー・サック(パリ)にて個展。
1933年 帰国。
1949年 AGO(アバンギャルド岡山)を主宰。
1950年 第一回A・G・O展
1953年 第二回A・G・O展
1954年 第三回A・G・O展
1955年 第四回A・G・O展 
1956年 66歳で死去。
1957年 坂田一男遺作展(ブリヂストン美術館)
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